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常磐津とは

 常磐津節[ときわずぶし]は浄瑠璃の一流派で、宮古路豊後掾[みやこじぶんごのじよう]の語る浄瑠璃が風紀を乱すとの理由で弾圧されたので、その高弟宮古路文字[もじ]太夫が常磐津文字太夫と改名し、一派を開いたときより始まる。

 以後、歌舞伎音楽として発達し、太夫・三味線のいずれにも後継者に優れた人を得、時代時代の好尚に適合する曲風が作られ、音楽として洗錬され今日に至っている。

 常磐津節は豊後節系浄瑠璃の中では最も硬派な浄瑠璃で、重厚な時代物に優れ、他に比して「ことば」の部分が多い。また「間」がしっかりしており、舞踊に最も適した曲節で作曲されている。もともと歌舞伎の出語りを第一義として発達してきたが、後には歌舞伎、舞踊を離れて独立した音楽としても演奏されている。

 常磐津節は我が国の芸能史上重要な地位を占めると共に、日本音楽の中で芸術上高度な価値を有する。

常磐津は一七四七年(延享四年)に創設された江戸豊後系浄瑠璃です

 都太夫一中(一中節)から宮古路豊後擾が1722年(亨保7年)頃独立。一中節を変化させ豊後節を創り上方で有名になりました。

 1731(亨保16)年頃豊後擾は江戸へ下り市村座に出演『大評判』をとりました。(→名古屋→江戸)

 1734~5(亨保19~20)頃豊後擾の高弟宮古路文字太夫も江戸へ下り豊後擾と一緒になって豊後節を江戸に於いても、確立させました。

 しかし、1736(元文元)年市村座で文字太夫が「傾情小夜中山」に出演中、北町奉行稲生下野守により中止させられます。

 1739(元文四)年には北町奉行水野備前守により上方ぶし浄瑠璃のお稽古や、雑談の話題も駄目と言う禁止令が出されました。

 その禁止の理由としては 河東節、一中節の豊後節排斥運動を一因とする説や文字太夫の語る豊後節には心中によって情念を美的に消化するような危険なエネルギー・派手な振る舞いが当時の為政者や周りの人々の反感をかってしまったとする説があります。

 その後ドラマチック性の高い浄瑠璃へと向かって新しい江戸浄瑠璃を創った文字太夫は1747(延享4)年宮古路姓を、関東と改姓しました。

 しかしその年に北町奉行馬場讃岐守より関東と名乗るのは穏やかでないと禁止され、その帰り際に住居がある日本橋檜物町に常盤橋を渡って戻る途中、師である豊後掾の本名「石津左司馬」の津を取り常盤津としたという説が有力である。

 後日、「皿」では割れてしまい縁起が良くないので「石」に変更され、現在では「常磐津」と明記するのが正しい。

 

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