家元が注目するものが

有名無名を問わず登場するコンテンツです。

中村屋と西川流

西川流総師 西川右近

一九六六年一月に西川鯉三郎は、中村勘三郎、尾上松緑、長谷川一夫と北条秀司作「仇ゆめ」で共演しました。

当時、舞踊公演として日生劇場で四日間やるのは珍しく、大好評でした。「仇ゆめ」は歌舞伎座本公演で歌舞伎として取り上げられたのです。舞踊界から本公演になるという事は珍しいことなんです。その後しばらく作品は眠っていたんですが、昔作曲したテープがのこっていたので、第四十八回名古屋をどりで、私が勘三郎さんのやった役をやり再現したのです。

その時のビデオを十八代目中村勘三郎さんにお見せして、お父様の作品だから歌舞伎でやってはどうですかと勧めたら、彼も気に入って十七代目が初演した中村屋ゆかりの演目として気に入ってくれて、その後も上演していました。

その勘三郎さんが亡くなり、またお蔵入りになるかなと思っていたら、息子の中村勘九郎さんが新緑特別公演二〇一五で再演しています。名古屋では五月に愛知芸術劇場でやってたんです。

中村勘三郎さんのご家族と西川流はご縁をいただいています。初代鯉三郎は六代目菊五郎の弟子なんですが先代の中村勘三郎さんも六代目菊五郎に憧れ、芝居も影響をうけていて、六代目菊五郎の娘さんと結婚しています。その娘さんは鯉三郎の弟子であり、当時は尾上松緑さんの夫人や、長谷川一夫さんの夫人も鯉三郎の弟子でした。鯉三郎と勘三郎のつながりは十代の頃からなんです。

先代の勘三郎さんは当時、若い私を可愛がってくれたんです。先代は結婚した後、女の子ばかり生まれていて、男がいなかったので親友の鯉三郎の子供である私のことをすごく可愛がったのです。でも息子ができたとたんに「もういいよお前さん」と言われた覚えがあるんですが。中村勘三郎は私にとって第二の父親みたいなとこがある。

芸の父親ですね。

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中村屋と西川流

西川流総師 西川右近

一九六六年一月に西川鯉三郎は、中村勘三郎、尾上松緑、長谷川一夫と北条秀司作「仇ゆめ」で共演しました。

当時、舞踊公演として日生劇場で四日間やるのは珍しく、大好評でした。「仇ゆめ」は歌舞伎座本公演で歌舞伎として取り上げられたのです。舞踊界から本公演になるという事は珍しいことなんです。その後しばらく作品は眠っていたんですが、昔作曲したテープがのこっていたので、第四十八回名古屋をどりで、私が勘三郎さんのやった役をやり再現したのです。

その時のビデオを十八代目中村勘三郎さんにお見せして、お父様の作品だから歌舞伎でやってはどうですかと勧めたら、彼も気に入って十七代目が初演した中村屋ゆかりの演目として気に入ってくれて、その後も上演していました。

その勘三郎さんが亡くなり、またお蔵入りになるかなと思っていたら、息子の中村勘九郎さんが新緑特別公演二〇一五で再演しています。名古屋では五月に愛知芸術劇場でやってたんです。

中村勘三郎さんのご家族と西川流はご縁をいただいています。初代鯉三郎は六代目菊五郎の弟子なんですが先代の中村勘三郎さんも六代目菊五郎に憧れ、芝居も影響をうけていて、六代目菊五郎の娘さんと結婚しています。その娘さんは鯉三郎の弟子であり、当時は尾上松緑さんの夫人や、長谷川一夫さんの夫人も鯉三郎の弟子でした。鯉三郎と勘三郎のつながりは十代の頃からなんです。

先代の勘三郎さんは当時、若い私を可愛がってくれたんです。先代は結婚した後、女の子ばかり生まれていて、男がいなかったので親友の鯉三郎の子供である私のことをすごく可愛がったのです。でも息子ができたとたんに「もういいよお前さん」と言われた覚えがあるんですが。中村勘三郎は私にとって第二の父親みたいなとこがある。

芸の父親ですね。