本において「おどり」の歴史の始まりは、神話。遥か古事記の時代にさかのぼります。アマテラスオオミカミが世をはかなみ岩戸にこもり、アマノウズメノミコトがその前で踊り、その踊りをはやし立てる声につられて岩戸を開けたところをタジカラノミコトによってこじ開けられ、世界に明かり戻ったという、あの有名な話です。
           
 600年以上前に中国より芸能が日本に流れ、舞楽や雅楽などの宮廷の芸能として定着しました。また農民の芸能である田楽でんがくや曲芸の猿楽を洗練させたものが能や狂言です。これらも上流階級によって親しまれた芸能となりました。
           
 日本舞踊は、大衆の中から生まれた芸能です。舞踊の起源には諸説が色々ありますが、いちばん有力なのが、400年前ごろに巫女達がお守りを売る客寄せのために始めた“念仏踊り”。これは巫女達が数人のグループになり、鐘を打ち鳴らしながら唄い踊ったといわれるもの。そのなかでとりわけ評判をだったのが“出雲の阿国おくに”と呼ばれる女性です。
           
 この阿国という人物は、男装に刀を差し、首からは当時異教とされていた南蛮渡来の十字架を首からさげて踊った、とあるので当時ではかなり過激な人物であったと思われます。その評判の阿国を中心に作られたのが「阿国かぶき」といわれるものです。これがいわば歌舞伎と日舞の元祖です。カブキとオドリは同じ先祖を持つのです。
           
           
 阿国を真似して各地で色々な“かぶき”の一座が出来たましたが、真似たのは主に遊女。当然、風紀の乱れを呼ぶ、と禁止されました。 そして現れたのが、元服前、16歳以下の男の子で結成された「若衆かぶき」。しかし、じきにこれも風俗の乱れにつながると禁止されます。そして現在の歌舞伎に通じる「野郎かぶき」が生まれました。現在、女性は舞台に上がれない歌舞伎ですが、もとは女性によって築き上げられたものなのです。
           
 当時は「傾き」と書かれていた歌舞伎。「傾く」という言葉には異様なもの、奇怪なもの、という意味。つまり歌舞伎というものは当時かなり過激なものだったのです。 またこのころ、日本の芸能界では大事件が起きます。琉球、現在の沖縄から渡って来た蛇皮線を改造した三味線の登場です。それまで弦楽器の少なかった日本では、三味線という、あらゆる音を出せる楽器の登場で、日本の音楽はいっそう可能性を持つことになります。そして三味線は、かぶき踊りの中心的楽器となります。これまで笛や太鼓に謡うたいをのせて演じられた能や狂言とくらべて、エキゾチックでカラフルな音色は瞬く間にブームを巻き起こし現在に伝わる日本のメロディーが生まれます。
           
「かぶき」はもともと踊りが主体でした。その歴史を歩むにつれ筋ができ、ストーリーを持ち、演劇的になっていきました。しかし踊りは踊りとしても上演され現在でも歌舞伎役者はすべて日本舞踊を習います。
           
 芸術が成熟してゆくと次第に枝分かれが始まるものですが、歌舞伎の振り付けを担当していた者たちが、自分たちでも弟子を持ち、発表もするようになったのが日本舞踊独自のあゆみ出しといえます。女子禁制の歌舞伎と違い、日本舞踊界は女性が多数を占めます。


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