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8、ひばりさんの小指
美空ひばりさんについては、さまざまな逸話が残されている。皆さんそれぞれ、特別の思いがあることだろう。私にも強烈な思い出がある。
昔から知り合いであったが、ひばりさんという人は、生前は随分誤解されて損をしたと思う。
ひばりさんの気っ風の良いのは有名だが、私が、それを実感したのは、昭和四十二年、「名古屋をどり」の二十五回記念公演の時である。その半年前に丁度、ひばりさんの名古屋公演があり、いつものように、ママや監督の沢島忠先生など親しい人々と終演後に会食があった。いきなりひばりさんが「右近チャン、今度の『名古屋をどり』は記念公演でいろいろな人が出演するのでしょ?」と言い出した。すでに長谷川一夫氏はじめ、尾上松緑(先代)、山本富士子、佐久間良子、そして宝塚から天津乙女、春日野八千代諸先輩が決まっており、どう答えて良いか私が口ごもっていると「どうして、私には、言わないのよ」と御機嫌斜めの様子だ。私が「お嬢に出て戴くには予算が無い」と言うと「そういうのが、水臭いというのよ」とたしなめられた。そして、急遽その場でひばりさんの出演が決まった。早速、父にその報告をすると大喜びで、是非、ひばりさんらしい舞台をと、沢島先生に歌詞をお願いすることになった。父の強い要望で名歌「りんご追分」で始まるその舞台はこの時の公演だけの特別作品となった。
後日に解かったことであるが、この公演の当日にママが京都で大手術を受けていたのだ。そのことを誰にも言わずに、舞台を終えると、すぐ京都に走るという、毎日を送っていた。我々に余分な心配をさせないために黙っていたのである。それが気配りの人、ひばりさんである。
ひばりさんの自宅は東京青葉台にある。東京での公演があると、自宅に出張して稽古となるのだが、夏など真剣なひばりさんの長い稽古が終わると、私のほうが汗ビッショリになる。
その様子を見るとひばりさんが自宅のサウナを薦めてくれる。自分の汗をものともせず、タオルなどを運び案内をされてこちらが恐縮してしまう。
ある稽古の時のことである。稽古が佳境に入り、私が、何げなく「ひばりさん、ユビ、小指をもっと真っすぐに延ばしてください」と言った。途端に、その場にいたママを始め全員が固まってしまった。その窮地を救ってくれたのは・・・・ |
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5、長唄「藤娘(ふじむすめ)」おみやげ物の絵もおどりになる
開幕を知らせるアナウンスが聴こえる、劇場内が暗くなる、その暗闇のなかで静かに幕が上がると聴こえてくる美声。
(唄)若むらさきに十返りの 花をあらわす松の藤波
チョン(拍子木の音)パッツ(舞台に明るくライトがつく)ワーパチパチ(観客のため息と手を叩く音)この始まり方が藤娘の幕引きの定番である。
おどりと言えば第一に思い浮かぶのが「藤娘」であると言うくらいこの演目はよく上演される。
また、日本人形でもこの「藤娘」は有名である。それ程ポピュラーな舞台だがあまりストーリーは理解されていない。「若むらさき」は藤と江戸の色、「十返りの花」は松の花のことで、百年に一度、千年に一度しか花を咲かせないので松の木の事を言い、それで松は目出度いということにたどり着くまでにもかなり時間がかかる、だからおどりは解らないという極論にすぐ達してしまう。だがともかくよく舞台に出る。その理由は年少者は可愛らしく、ベテランはそれなりに「踊りの型と間」を楽しむ。姿が美しいので(時には美しくないのもいるが)おどりたい人が多いがあまり物語は考えなくてよい。(中略)
「藤娘」って器量が良くないと「ブス娘」、歳をとっておどっても最後まで踊れれば「無事娘」、すべってころんでも怪我がなければ「不死身娘」って呼ばれることをご存じかな?
ともかくこの藤娘が生まれたのが一八二六年、しかしこの小曲を有名にしたのは名人誉れ高い六代目菊五朗丈が昭和十二年に歌舞伎の舞台に登場させて不動の物とした。そこには多くの工夫がなされていた。まず、第一は恰幅の良かった六代目は舞台の道具の藤の花びらを一際大きくした。自分が可愛らしく見えるように工夫をしたのである。また、短いこの曲に「藤音頭」を入れて藤の花の性格を明らかにしたなどあるが、それが現在の常識となり背の低い人や痩せた人が踊る時にもやたら大きい藤の花の下でおどるから正しく理解されていないことが多い。その点はいかに古いが面白くても考えてもらいたい。 |
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※(以下、勝新太郎氏を「勝」、西川右近を「右近」と略す)
右近「すると、勝ちゃんの仕事の手本は遊びにあるわけだね。」
勝「そう。芸者からも教わるし、極道からも教わる。そういう点では、みんな先生よ。たとえば、いい女がいて"高嶺の花だ"って聞けば、それじゃオレのクソにしちゃおうと思っちゃう。(笑)」
右近「子供のころの勝ちゃんてどうだった。」
勝「自分じゃ、よくわからないよ。まあ、評判じゃ悪かったようだね。オレはそんなに悪いとは思わないけど」
右近「おませだったんでしょ。」
勝「いや、そっちは駄目、なにしろ目が覚めたら回りに芸者衆がいた、という環境で育ったから。逆にませなかったかも。」
右近「ふーん。僕も同じような環境だったけど、ませていたよ。」
勝「そりゃ、名古屋の芸者衆は教え方がうまかったんだ。」
右近「そうかも。(声をひそめて)僕、十五のときだもの。」
勝「初体験?それなら、オレは十三だ」
右近「ハハハハ、それじゃ、ちっとも遅くないじゃない。よくいうよ。(笑い)」 |
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